栗原 伸一, 霜浦 森平
食と緑の科学 : HortResearch 62 77-83 2008年3月 査読有り
本研究では,全国10地域において実施した現地調査に加え,過去2年間のアンケート悉皆調査の結果などを用いて,最近の酪農経営において最も重要な取り組み対象となっている安全性確保と,出荷抑制のための基準として利用されるようになった品質改善について,現状と課題点を整理し,今後の展開方向を探った.その結果,まず安全性確保については,やはり昨今の世論を反映して,各種の点検記録等の取り組み実施比率が急速に上昇していたことが,過去の悉皆調査から確認できた.その内容としては,2006年に始まったポジティブリスト制の影響から薬品の使用管理の実施率が特に高くなっており,また地域的には2000年に集団食中毒事件を発生させた乳業メーカーの本拠地である北海道の実施率が高くなっていた.そして今回の現地調査からは,面倒ながらも生産者としての義務感から安全性に取り組んでいる姿や,乳業メーカーからの要求が最近大変強くなっている事情も浮かび上がった.しかし,こうした安全対策については,経営規模による温度差も大きく,また,そうした努力が乳価へ反映されないことが,特に中小経営体にとってはインセンティブを削いでしまっていることも示唆された.なお,中央酪農会議が作成した「生乳生産管理チェックシート」の利用状況については,ほとんどの経営体で実際に利用され,JA等によってその記入状況などもチェックされている地域が多いことが確認された.次に,本来は乳房炎やその結果としての生乳劣化の指標として用いられていた体細胞数や細菌数といった生乳品質基準であるが,近年では多くの地域で計画生産における出荷抑制のための基準として利用されていた.ただし,細菌数については,検査の方法や輸送距離などが大きく影響するため,ペナルティ基準としては導入していないところが多かった.過去の悉皆調査からは,細菌数よりも体細胞数への対応に苦慮している経営体が多く,地域的には北海道での成績が(特に体細胞数において)良好であることが分かった.なお,現地調査においては,主に取り組み内容についての聞き取りが行われたが,牛舎や機器の衛生管理や適正な搾乳など,一般的なものが多く,高品質乳生産の秘訣は各生産者が長年試行錯誤した結果や独自の価値観に基づいたもので,汎用的な有効策は抽出できなかった.いずれにせよ,生乳生産における安全性や品質管理に対する取り組みは,我が国の酪農の歴史から見れば,まだ始まったばかりである.生産者やメーカーにっとって,消費者ニーズに応えることはもちろん大切であるが,それ故にやや過剰反応とも思える闇雲な厳しい基準や要求,取り組みも多くみられた.よって今後は,牛乳を取り巻くフードシステムの両側,つまり生産者と消費者双方にとって理想的な取り組み体制を探っていく必要があるだろう.