研究者業績

梅田 克樹

ウメダ カツキ  (KATSUKI UMEDA)

基本情報

所属
千葉大学 教育学部 准教授
学位
博士(文学)(2004年1月 広島大学)

研究者番号
20344533
J-GLOBAL ID
202001013711392816
researchmap会員ID
R000007930

論文

 11
  • 梅田 克樹
    千葉大学教育学部研究紀要 = Bulletin of the Faculty of Education, Chiba University 68(68) 343-351 2020年3月1日  
    [要約]本研究は,インドにおける酪農の発展プロセスと現状について整理・検討した。その際,キーポイントと目される遺伝的改良への取り組みと,その推進エンジンとしての中央政府における農業政策の変化に,特に注目した。農業・農民福祉省のDADF(畜産・酪農・漁業局)は,五か年計画に基づいて中期的な酪農振興計画を策定し, NDDP(インド酪農開発公社)を通じて生乳増産を図ってきた。近年,特に積極的に取り組まれているのが,牛・水牛の遺伝的改良による生乳生産性の向上である。インド在来のゼブー牛は,耐暑性・耐病性に優れるものの,産乳能力はきわめて低い。ヨーロッパ牛は,その反対である。そこで,ゼブー牛とヨーロッパ牛との交雑育種や,ゼブー牛の系統造成を推進している。これらを実現するための中核的技術として,AI(人工授精)実施率の向上が特に重視されている。こうした取り組みが功を奏して,インドの生乳生産性は急速に改善されつつある。
  • 大嶌 竜午, 加藤 徹也, 小山 義徳, 梅田 克樹, 澤邉 正人, 大和 政秀, 辻 耕治
    千葉大学教育学部研究紀要 = Bulletin of the Faculty of Education, Chiba University 68(68) 185-196 2020年3月1日  
    [要約]インドネシアの教員等に対する研修プログラムを開発し,実施した。本研究の目的は,参加者及び協力校教員に対するアンケート結果を基に本プログラムを評価し,教育学部における高等教育の輸出について示唆を得ることである。プログラム参加者は,主にインドネシア西ジャワ州に所属する幼稚園から高等学校までの教員43名であり,プログラムは,千葉大学教育学部における講義及び千葉県内の7つの高等学校等における学校訪問から構成された。分析の結果,(1)国際プログラムにおけるコミュニケーション,(2)研修内容,(3)異文化への対応,(4)学校との連携の在り方,(5)高等教育機関としてのプログラム提供方針に関して,示唆を得ることができた。
  • 梅田 克樹
    千葉大学教育学部研究紀要 67 339-342 2019年3月  
    [要約] 本研究は,大学生が自県に対してどのような地域認識を有しているのかを,「お国自慢」の調査を通じて明らかにした。調査対象とした学生は,千葉県出身の千葉大学教育学部生のうち,事例主義と方法主義を重視した平成10年版学習指導要領下において小中学校の地域学習を受けた世代である。調査の結果,次の諸点が明らかにされた。(1)「東京大都市圏ならではの住みやすさ」や「自然環境の豊かさ」など,居住地としてのバランスの良さを挙げた学生が多かった。(2)第一次産業についての回答が多くみられたのは,景観面で重要であり,日々の食生活にも直結するためと考えられる。(3)学生の食生活や余暇活動のあり方が,地域認識の形成に強く影響していた。(4)副読本「ちば・ふるさとの学び」の存在は,「第一次産業」や「成田空港」などの回答に影響を及ぼした可能性がある。
  • 芳賀 瑞希, 野村 純, 谷 恭子, 山野 芳昭, 大嶌 竜午, サプト アシャディアント, 馬場 智子, 飯塚 正明, 伊藤 葉子, 梅田 克樹, 加藤 徹也, 小宮山 伴与志, 下永田 修二, 白川 健, 杉田 克生, 髙木 啓, 辻 耕治, 土田 雄一, 林 英子, 藤田 剛志, ホーン ベヴァリー, 山下 修一, 大和 政秀, 米田 千恵
    千葉大学教育学部研究紀要 66(2) 133-137 2018年3月  
    [要約] ツインクルプログラムは日本とASEAN諸国での双方向型教員インターンシッププログラムとして平成24年から開始し,発展してきた。本報告では,プログラムの年度ごとの改変によりASEAN諸国の留学生の学びがどのように変化したかを,学生のレポートの記述をもとにテキストマイニングにより解析し,検討した。この結果,各年度とも「TWINCLE program」,「laboratory course work」,「culture」など,プログラムおよび活動内容を示す言葉がカテゴリとして抽出されるとともに,カテゴリ間の関係は年度を追ってシンプルになっていくことが示唆された。したがって,年度を追って活動内容が洗練されていったことが考えられた。一方で「laboratory course work」の実施方法などの課題も示され,今後の取組みに反映したい。

MISC

 16
  • 梅田 克樹
    日本地理学会発表要旨集 2017 100344-100344 2017年  
    Ⅰ はじめに<br>インドの酪農は、約8,000万戸の零細酪農経営によって支えられ、持続的な農村開発に貢献してきた。その一方、資金力が乏しい零細経営ゆえに、生産性の向上が十分に図られてきたとは言いがたい。低疾病・高乳量牛への改良とその普及が、喫緊の課題になっている。近年は、数十頭の飼養規模を有する商業的酪農も出現し始めている。本発表では、インド酪農に大きな変革をもたらすであろう乳牛改良の進捗と商業的酪農の勃興について、カルナータカ州の現状を報告する。<br> <br>Ⅱ 乳牛改良の意義とその地域性<br>宗教的・文化的理由から食肉消費が少なく、動物性タンパクの摂取源として牛乳・乳製品が担う役割は極めて大きい。そのため、近年の急速な経済成長に伴って、生乳需給の逼迫が恒常化するようになった。<br>生乳需給の逼迫を招いている供給サイドの問題として、①在来牛の低い産乳能力、②高い育成牛死亡率、③低い搾乳牛比率、④長い乾乳期間が挙げられる。乳牛改良の加速化とその成果普及の促進は、こうした諸問題を解決するための特効薬と位置付けられる。第12~13次五カ年計画に対応して策定されたNational Dairy Plan(NDP, 2012~21年度)において、優良種畜の導入と人工授精(AI)技術の普及は、インド酪農が取り組むべき最重点課題に据えられた。2012~16年度におけるNDP予算の48%が、乳牛改良関連の諸事業に充てられている。<br>インドの在来牛(コブ牛)は、牛体が小さく暑さや病気には強いものの、年間乳量は300~600kg程度にとどまる。牛体が大きいヨーロッパ牛は、年間乳量は5,000~10,000kgに達するものの、高温や疾病には弱い。そこで、両者を交配することによって、熱帯性の気候に適応しながら年間1,500~2,000kgの産乳能力を備えた牛(交雑牛)が作り出される。ただし、高温多湿な東インドにおいては、在来牛の選抜による乳牛改良が主流である。水牛が多い北部・西部諸州は、ゼブー種など高乳量在来種水牛の増頭を推進している。交雑種の導入に積極的に取り組み、体型・能力に優れた高能力牛群の構築に成功しているのは、北部の一部州(パンジャブ州など)と南部諸州に限られるのが現状である。<br>最も効果的な乳牛改良の方法は、優秀な種牡牛を選抜・導入することである。1頭の種牡牛によって年間2万回のAI実施が可能になるため、遺伝的能力が高く伝染性疾病のリスクが低い優良種畜を効率的に利用できる。凍結精液は保存性・可搬性に優れるため、遺伝資源を広域的に利用することも可能になる。また、雌牛の発情に合わせたAI実施は、妊娠確率の改善や空胎期間の短縮にも直結する。その一方、広範なAI普及を実現するための人材育成やインフラ整備は遅れがちであり、技術的問題に起因する繁殖成績の不安定化がしばしば生じている。<br>2014年度には、全国50か所の精液生産センターにおいて、年間8,855万本の凍結精液が製造された。総妊娠数の3分の1程度がAIによるものと推定される。さらに、NDP期間中に480頭の種牡牛(受精胚輸入を含む)を輸入するなどして、年間1億本分の精液供給能力を積み増す計画になっている。<br><br>Ⅲ カルナータカ州における乳牛改良と商業的酪農の勃興<br>カルナータカ州は、交雑種の普及が最も進んでいる州の一つである。特に、州都ベンガルールの周辺では、交雑種の比率が顕著に高い。それに対して、相当数の役牛が残存している北部では、在来種の比率が依然として高いままである。<br>州内5か所の精液生産センター(年産計878万本)は、すべてベンガルール市とその周辺に位置している。同市中心部の北西方18kmに位置するヘッサーガッタ村には、連邦政府の管轄下にあるCentral Frozen Semen Production and Training Instituteを含む3か所の精液生産センターと、連邦政府・州政府の畜産研究機関が集中する。ベンガルール市中心部には、National Dairy Research Institute (Southern Regional Station)が置かれている。<br>各精液生産センターや隣接する研究機関群は、酪農新技術の普及拠点になっている。酪農従事者のための宿泊研修施設も完備されており、「商業的酪農」のインキュベーターとして機能している。普及拠点へのアクセスに優れたヘッサーガッタ村周辺は、商業的畜産の集積がみられる。当日の発表では、ベンガルール市内の大手IT企業から転じた新規参入者が、ヨーロッパ式の酪農技術体系をNDRIで学び、ヘッサーガッタの隣村において「商業的酪農」の創設につなげた事例等を報告する予定である。また、CFSPTIにおける凍結精液の製造過程を検証し、対処すべき技術的諸課題についても明らかにしたい。
  • 梅田 克樹
    人文地理学会大会 研究発表要旨 2015 184-185 2015年  
  • 荒木 一視, 梅田 克樹, 大呂 興平, 古関 喜之, 辻村 英之, 則藤 孝志
    日本地理学会発表要旨集 2014 100039-100039 2014年  
    報告者らはフードレジーム論の枠組みを念頭に,アジア太平洋地域で新たに形成されつつある農産物貿易を実証的に把握することに取り組んだ。世界大の多国間のスケールで食料供給体制を描き出そうとするフードレジーム論においては,アメリカのIndustrial Agricultureに依拠した大量の食料の安価な供給体制(第2次レジーム)がほころびを見せ始めていると認識される。それに代わるとされるのが第3次レジームと呼ばれるもので,国家ではなく多国籍企業がそれを稼働させ,安価で大量の食料供給という従前の哲学ではなく,品質や社会的な価値などへの関心が高い。 フードレジーム論においてアジア太平洋地域が主要な対象となることはなかったが,今日突出した食料輸入国である日本,経済成長とともに巨大な食料消費国としての性格を急速に強めつつある中国及び東南アジア諸国,またこれらアジア市場への食料輸出基地としての性格を強めつつあるオーストラリアやニュージーランドなどのオセアニア諸国などは急速な秩序変化の中にあるといってよい。こうした状況を理解する上で第3次レジームの枠組みが効果的ではないかと考えたのである。<br>報告者らの取り上げたアジア太平洋地域の農産物貿易の事例は以下の通りである。東アジアのスケールでは中国・台湾・日本を結ぶ青果物や加工食品のチェーン,さらにオセアニアを含むスケールでは畜産品のチェーンに着目した。加工食品(梅干)の場合,①日本の加工業者が主導する台湾からの調達(日本の開発輸入),②台湾企業が主導する中国からの調達(台湾加工業の中国進出,消費市場は日本),③日本の加工業者による中国進出,④市場の変化に伴う縮小・撤退という動きが認められた。また,畜産品(牛肉)の場合には,①日本企業のオーストラリア進出と調達,②日本企業の撤退とオーストラリアでのWagyu生産,③東南アジア市場を目指したオーストラリアからのWagyu輸出,畜産品(乳製品)の場合には,ニュージーランド企業による中国市場向けの輸出とオーストラリアからの原料調達などの動きが認められた。このようにアジア太平洋地域の農産物貿易は単純な2国間の枠組みでは把握できないパターンを示しているとともに,それらの背景には従来のより廉価な食品供給という考え方だけではなく,安全性や安心感,さらには食品が持つ文化的・社会的なさまざまの価値の獲得を目指した動きが存在している。例えば,より高品質・高級とされる食材,より安全性を保証された食材,さらにはより環境に与える負荷の少ないとされる食材やよりエキゾチックな,あるいは「ブランド」化された食材への関心の高まりである。これらの動きは一方で経済成長による市場の拡大として理解することができるが,他方では市場そのものが従来の廉価で大量の食料供給をよしとする枠組み・基範から,より質的なものを重視するものへと市場の性格が変化してきたととらえることもできる。<br> このようにアジア太平洋地域の農産物貿易は極めて興味深い動きの中にあるといってよい。次のステップとしてはこうした動きをどのように評価しうるのか,さらにいえばこれらのフードチェーンはどのようにあるべきかという議論が想定できる。品質や安全性などへの関心が高まること自体悪いことではない。また,新たな市場の形成や成長,より付加価値の高い農産物・食品の登場についても同じである。しかし,はたしてそうした動きが新たな食料供給体制(レジーム)を構築しうるのであろうか。廉価で大量の食料供給という1つのパラダイムが幕を下ろすといえるのであろうか。豊かな先進国と貧しい途上国という枠を超え,先進国途上国を問わず,一国の中での貧富の差が広がっている。そこにおいて彼ら(富めるものと貧しいもの)の食料供給を支えるのは,もはや国内の食料生産ではなく,いずれの国においても海外からの調達となりつつある。この文脈にいて,なお廉価で大量の食料供給というパラダイムは意味を持っていると考える。
  • 梅田 克樹
    日本地理学会発表要旨集 2013 159-159 2013年  
    Ⅰ はじめに インドは世界最大の酪農国である。3億頭におよぶ牛や水牛から、年間1.2億tもの生乳が生産されている。特に、デリー首都圏の周辺には、インド有数の酪農地域が広がっている。本報告では、インド酪農の最新動向について整理するとともに、生乳流通の地域的多様性について概観する。また、世界第4位の都市圏人口(2,224万人)を擁し、インド最大のメガ・リージョンであるデリー首都圏を事例に、生乳供給システムの現状と課題を明らかにする。Ⅱ 高度経済成長とインド酪農の発展 1980年代後半以降、インドは急速な経済成長を遂げてきた。とりわけ、可処分所得20万ルピー(約30万円)をこえる中間層人口の急増が、需要拡大に与えたインパクトは大きい。生乳生産についても、2005年から2011年までの間に生産量が3割増えるなど、需要拡大を受けた積極的な増産が図られている。しかし、同期間の乳価上昇率は5割に達している。増産ペースを上回る勢いで需要が増え続けているため、生乳需給は今後ますます逼迫するものと見込まれている。2020年の需給ギャップ(供給不足量)は、5,000万tに達するとの予測もある。 インド国民の8割はヒンドゥー教徒である。ヒンドゥー教において牛は神聖な生き物とされており、ベジタリアンも数多い。そのため食肉消費量は少なく、畜産生産額の7割を乳が占めている。ギーやダーヒなどの伝統的乳製品も広く食されている。こうした強固な乳食文化を支える酪農部門は、インドにおける農業生産額の2割を占め、穀物に次ぐ基幹的部門をなしているのである。その一方、牛乳の7割に、不純物が含まれていたり混入物が加えられていたりするなど、品質向上に向けた課題も多く残されている。Ⅲ 生乳生産の地域的偏在とその要因 酪農がさかんなのは北部諸州である。生乳生産量が最も多いのはウッタル・プラデーシュ州(2,100万t)であり、その量はニュージーランド一国の生乳生産量に匹敵する。そのほか、ラジャスタン州(2位、1,320t)やパンジャブ州(3位、940t)、ハリヤーナ州(10位、630t)なども、上位に顔を出している。デリー首都圏を取り囲むように、酪農主産地が分布しているのである。逆に、東部諸州の生乳生産量は少なく、深刻な生乳不足にしばしば陥りがちである。 生乳生産の地域的偏在が生じる最大の理由は、気候条件の違いにある。降水量が少ない地域では草が成長しにくく、飼料調達に支障が出る。一年中高温多湿が続く地域では牛が弱ってしまうし、交雑種を導入することも難しい。欧米からの輸入牛との交雑種は、年間乳量が1,000~2,000㎏とインド在来牛(300~600㎏)に比べて多いものの、耐暑性が大きく劣るのである。その点、明確な冬があり適度な降水も得られる北部諸州ならば、草地資源も豊かであるし、交雑種を導入することも容易である。 そのほか、冷蔵輸送システムが整えられていないことや、種雄牛の導入状況が州によって異なることも、地域的偏在を生じさせる副次的要因として挙げられる。Ⅳ 生乳生産の地域的偏在とその要因 インドの牛乳流通において、organized milkが占める割合は18%にすぎない。自家消費や伝統的流通などのインフォーマル流通が卓越するものの、その全容はほとんど解明されていない。しかし、インド経済の中枢を担う大都市については、やや事情が異なる。デリー首都圏においては、Delhi Milk Scheme (DMS)に基づく流通システムが整えられ、毎日380万リットルものpackaged milkが消費者に届けられている。連邦政府農業省内に事務局を置くDMSが、近隣州の酪農連合会や酪農協などから買い取った生乳を、各乳業者に一元的に販売するのである。デリー市民に牛乳・乳製品を安価に供給するとともに、生乳生産者に対して有利な乳価を確保するための制度である。DMSは、Operation Flood (OF)に基づいて1959年に策定された枠組みである。DMSにおける主な生乳調達源もまた、OFに基づいて普及が図られてきた協同組合酪農である。OF推進のためにNDDB(インド酪農開発委員会)が設けられ、アナンド型酪農協を普及させてきた。アナンド型酪農協の集乳率は8%程度と高くないとはいえ、インド農村の社会経済開発モデルとしての意味は大きい。また、DMSの生乳販売先の多くは、NDDBの傘下におかれている。NDDBが100%出資するMother Dairy社は、DMSによる生乳販売量の66%を占めており、デリー市乳市場における支配力を確保している。デリー大都市圏内に1,000カ所の専売ブースと1,400カ所の契約小売店を設け、牛乳・乳製品をはじめとする多種多様な食品を販売している同社は、インド大都市部において構築すべき安価かつ安定的な食料供給システムの国家的モデルと位置付けられている。こうしたモデルが普及すれば、インドの酪農・乳業が大きな変革を遂げる可能性があるだろう。

書籍等出版物

 1

講演・口頭発表等

 16
  • 梅田 克樹
    日本地理学会発表要旨集 2017年 公益社団法人 日本地理学会
    Ⅰ はじめに<br>インドの酪農は、約8,000万戸の零細酪農経営によって支えられ、持続的な農村開発に貢献してきた。その一方、資金力が乏しい零細経営ゆえに、生産性の向上が十分に図られてきたとは言いがたい。低疾病・高乳量牛への改良とその普及が、喫緊の課題になっている。近年は、数十頭の飼養規模を有する商業的酪農も出現し始めている。本発表では、インド酪農に大きな変革をもたらすであろう乳牛改良の進捗と商業的酪農の勃興について、カルナータカ州の現状を報告する。<br> <br>Ⅱ 乳牛改良の意義とその地域性<br>宗教的・文化的理由から食肉消費が少なく、動物性タンパクの摂取源として牛乳・乳製品が担う役割は極めて大きい。そのため、近年の急速な経済成長に伴って、生乳需給の逼迫が恒常化するようになった。<br>生乳需給の逼迫を招いている供給サイドの問題として、①在来牛の低い産乳能力、②高い育成牛死亡率、③低い搾乳牛比率、④長い乾乳期間が挙げられる。乳牛改良の加速化とその成果普及の促進は、こうした諸問題を解決するための特効薬と位置付けられる。第12~13次五カ年計画に対応して策定されたNational Dairy Plan(NDP, 2012~21年度)において、優良種畜の導入と人工授精(AI)技術の普及は、インド酪農が取り組むべき最重点課題に据えられた。2012~16年度におけるNDP予算の48%が、乳牛改良関連の諸事業に充てられている。<br>インドの在来牛(コブ牛)は、牛体が小さく暑さや病気には強いものの、年間乳量は300~600kg程度にとどまる。牛体が大きいヨーロッパ牛は、年間乳量は5,000~10,000kgに達するものの、高温や疾病には弱い。そこで、両者を交配することによって、熱帯性の気候に適応しながら年間1,500~2,000kgの産乳能力を備えた牛(交雑牛)が作り出される。ただし、高温多湿な東インドにおいては、在来牛の選抜による乳牛改良が主流である。水牛が多い北部・西部諸州は、ゼブー種など高乳量在来種水牛の増頭を推進している。交雑種の導入に積極的に取り組み、体型・能力に優れた高能力牛群の構築に成功しているのは、北部の一部州(パンジャブ州など)と南部諸州に限られるのが現状である。<br>最も効果的な乳牛改良の方法は、優秀な種牡牛を選抜・導入することである。1頭の種牡牛によって年間2万回のAI実施が可能になるため、遺伝的能力が高く伝染性疾病のリスクが低い優良種畜を効率的に利用できる。凍結精液は保存性・可搬性に優れるため、遺伝資源を広域的に利用することも可能になる。また、雌牛の発情に合わせたAI実施は、妊娠確率の改善や空胎期間の短縮にも直結する。その一方、広範なAI普及を実現するための人材育成やインフラ整備は遅れがちであり、技術的問題に起因する繁殖成績の不安定化がしばしば生じている。<br>2014年度には、全国50か所の精液生産センターにおいて、年間8,855万本の凍結精液が製造された。総妊娠数の3分の1程度がAIによるものと推定される。さらに、NDP期間中に480頭の種牡牛(受精胚輸入を含む)を輸入するなどして、年間1億本分の精液供給能力を積み増す計画になっている。<br><br>Ⅲ カルナータカ州における乳牛改良と商業的酪農の勃興<br>カルナータカ州は、交雑種の普及が最も進んでいる州の一つである。特に、州都ベンガルールの周辺では、交雑種の比率が顕著に高い。それに対して、相当数の役牛が残存している北部では、在来種の比率が依然として高いままである。<br>州内5か所の精液生産センター(年産計878万本)は、すべてベンガルール市とその周辺に位置している。同市中心部の北西方18kmに位置するヘッサーガッタ村には、連邦政府の管轄下にあるCentral Frozen Semen Production and Training Instituteを含む3か所の精液生産センターと、連邦政府・州政府の畜産研究機関が集中する。ベンガルール市中心部には、National Dairy Research Institute (Southern Regional Station)が置かれている。<br>各精液生産センターや隣接する研究機関群は、酪農新技術の普及拠点になっている。酪農従事者のための宿泊研修施設も完備されており、「商業的酪農」のインキュベーターとして機能している。普及拠点へのアクセスに優れたヘッサーガッタ村周辺は、商業的畜産の集積がみられる。当日の発表では、ベンガルール市内の大手IT企業から転じた新規参入者が、ヨーロッパ式の酪農技術体系をNDRIで学び、ヘッサーガッタの隣村において「商業的酪農」の創設につなげた事例等を報告する予定である。また、CFSPTIにおける凍結精液の製造過程を検証し、対処すべき技術的諸課題についても明らかにしたい。
  • 梅田 克樹
    人文地理学会大会 研究発表要旨 2015年 人文地理学会
  • 荒木 一視, 梅田 克樹, 大呂 興平, 古関 喜之, 辻村 英之, 則藤 孝志
    日本地理学会発表要旨集 2014年 公益社団法人 日本地理学会
    報告者らはフードレジーム論の枠組みを念頭に,アジア太平洋地域で新たに形成されつつある農産物貿易を実証的に把握することに取り組んだ。世界大の多国間のスケールで食料供給体制を描き出そうとするフードレジーム論においては,アメリカのIndustrial Agricultureに依拠した大量の食料の安価な供給体制(第2次レジーム)がほころびを見せ始めていると認識される。それに代わるとされるのが第3次レジームと呼ばれるもので,国家ではなく多国籍企業がそれを稼働させ,安価で大量の食料供給という従前の哲学ではなく,品質や社会的な価値などへの関心が高い。 フードレジーム論においてアジア太平洋地域が主要な対象となることはなかったが,今日突出した食料輸入国である日本,経済成長とともに巨大な食料消費国としての性格を急速に強めつつある中国及び東南アジア諸国,またこれらアジア市場への食料輸出基地としての性格を強めつつあるオーストラリアやニュージーランドなどのオセアニア諸国などは急速な秩序変化の中にあるといってよい。こうした状況を理解する上で第3次レジームの枠組みが効果的ではないかと考えたのである。<br>報告者らの取り上げたアジア太平洋地域の農産物貿易の事例は以下の通りである。東アジアのスケールでは中国・台湾・日本を結ぶ青果物や加工食品のチェーン,さらにオセアニアを含むスケールでは畜産品のチェーンに着目した。加工食品(梅干)の場合,①日本の加工業者が主導する台湾からの調達(日本の開発輸入),②台湾企業が主導する中国からの調達(台湾加工業の中国進出,消費市場は日本),③日本の加工業者による中国進出,④市場の変化に伴う縮小・撤退という動きが認められた。また,畜産品(牛肉)の場合には,①日本企業のオーストラリア進出と調達,②日本企業の撤退とオーストラリアでのWagyu生産,③東南アジア市場を目指したオーストラリアからのWagyu輸出,畜産品(乳製品)の場合には,ニュージーランド企業による中国市場向けの輸出とオーストラリアからの原料調達などの動きが認められた。このようにアジア太平洋地域の農産物貿易は単純な2国間の枠組みでは把握できないパターンを示しているとともに,それらの背景には従来のより廉価な食品供給という考え方だけではなく,安全性や安心感,さらには食品が持つ文化的・社会的なさまざまの価値の獲得を目指した動きが存在している。例えば,より高品質・高級とされる食材,より安全性を保証された食材,さらにはより環境に与える負荷の少ないとされる食材やよりエキゾチックな,あるいは「ブランド」化された食材への関心の高まりである。これらの動きは一方で経済成長による市場の拡大として理解することができるが,他方では市場そのものが従来の廉価で大量の食料供給をよしとする枠組み・基範から,より質的なものを重視するものへと市場の性格が変化してきたととらえることもできる。<br> このようにアジア太平洋地域の農産物貿易は極めて興味深い動きの中にあるといってよい。次のステップとしてはこうした動きをどのように評価しうるのか,さらにいえばこれらのフードチェーンはどのようにあるべきかという議論が想定できる。品質や安全性などへの関心が高まること自体悪いことではない。また,新たな市場の形成や成長,より付加価値の高い農産物・食品の登場についても同じである。しかし,はたしてそうした動きが新たな食料供給体制(レジーム)を構築しうるのであろうか。廉価で大量の食料供給という1つのパラダイムが幕を下ろすといえるのであろうか。豊かな先進国と貧しい途上国という枠を超え,先進国途上国を問わず,一国の中での貧富の差が広がっている。そこにおいて彼ら(富めるものと貧しいもの)の食料供給を支えるのは,もはや国内の食料生産ではなく,いずれの国においても海外からの調達となりつつある。この文脈にいて,なお廉価で大量の食料供給というパラダイムは意味を持っていると考える。
  • 梅田 克樹
    日本地理学会発表要旨集 2013年 公益社団法人 日本地理学会
    Ⅰ はじめに インドは世界最大の酪農国である。3億頭におよぶ牛や水牛から、年間1.2億tもの生乳が生産されている。特に、デリー首都圏の周辺には、インド有数の酪農地域が広がっている。本報告では、インド酪農の最新動向について整理するとともに、生乳流通の地域的多様性について概観する。また、世界第4位の都市圏人口(2,224万人)を擁し、インド最大のメガ・リージョンであるデリー首都圏を事例に、生乳供給システムの現状と課題を明らかにする。Ⅱ 高度経済成長とインド酪農の発展 1980年代後半以降、インドは急速な経済成長を遂げてきた。とりわけ、可処分所得20万ルピー(約30万円)をこえる中間層人口の急増が、需要拡大に与えたインパクトは大きい。生乳生産についても、2005年から2011年までの間に生産量が3割増えるなど、需要拡大を受けた積極的な増産が図られている。しかし、同期間の乳価上昇率は5割に達している。増産ペースを上回る勢いで需要が増え続けているため、生乳需給は今後ますます逼迫するものと見込まれている。2020年の需給ギャップ(供給不足量)は、5,000万tに達するとの予測もある。 インド国民の8割はヒンドゥー教徒である。ヒンドゥー教において牛は神聖な生き物とされており、ベジタリアンも数多い。そのため食肉消費量は少なく、畜産生産額の7割を乳が占めている。ギーやダーヒなどの伝統的乳製品も広く食されている。こうした強固な乳食文化を支える酪農部門は、インドにおける農業生産額の2割を占め、穀物に次ぐ基幹的部門をなしているのである。その一方、牛乳の7割に、不純物が含まれていたり混入物が加えられていたりするなど、品質向上に向けた課題も多く残されている。Ⅲ 生乳生産の地域的偏在とその要因 酪農がさかんなのは北部諸州である。生乳生産量が最も多いのはウッタル・プラデーシュ州(2,100万t)であり、その量はニュージーランド一国の生乳生産量に匹敵する。そのほか、ラジャスタン州(2位、1,320t)やパンジャブ州(3位、940t)、ハリヤーナ州(10位、630t)なども、上位に顔を出している。デリー首都圏を取り囲むように、酪農主産地が分布しているのである。逆に、東部諸州の生乳生産量は少なく、深刻な生乳不足にしばしば陥りがちである。 生乳生産の地域的偏在が生じる最大の理由は、気候条件の違いにある。降水量が少ない地域では草が成長しにくく、飼料調達に支障が出る。一年中高温多湿が続く地域では牛が弱ってしまうし、交雑種を導入することも難しい。欧米からの輸入牛との交雑種は、年間乳量が1,000~2,000㎏とインド在来牛(300~600㎏)に比べて多いものの、耐暑性が大きく劣るのである。その点、明確な冬があり適度な降水も得られる北部諸州ならば、草地資源も豊かであるし、交雑種を導入することも容易である。 そのほか、冷蔵輸送システムが整えられていないことや、種雄牛の導入状況が州によって異なることも、地域的偏在を生じさせる副次的要因として挙げられる。Ⅳ 生乳生産の地域的偏在とその要因 インドの牛乳流通において、organized milkが占める割合は18%にすぎない。自家消費や伝統的流通などのインフォーマル流通が卓越するものの、その全容はほとんど解明されていない。しかし、インド経済の中枢を担う大都市については、やや事情が異なる。デリー首都圏においては、Delhi Milk Scheme (DMS)に基づく流通システムが整えられ、毎日380万リットルものpackaged milkが消費者に届けられている。連邦政府農業省内に事務局を置くDMSが、近隣州の酪農連合会や酪農協などから買い取った生乳を、各乳業者に一元的に販売するのである。デリー市民に牛乳・乳製品を安価に供給するとともに、生乳生産者に対して有利な乳価を確保するための制度である。DMSは、Operation Flood (OF)に基づいて1959年に策定された枠組みである。DMSにおける主な生乳調達源もまた、OFに基づいて普及が図られてきた協同組合酪農である。OF推進のためにNDDB(インド酪農開発委員会)が設けられ、アナンド型酪農協を普及させてきた。アナンド型酪農協の集乳率は8%程度と高くないとはいえ、インド農村の社会経済開発モデルとしての意味は大きい。また、DMSの生乳販売先の多くは、NDDBの傘下におかれている。NDDBが100%出資するMother Dairy社は、DMSによる生乳販売量の66%を占めており、デリー市乳市場における支配力を確保している。デリー大都市圏内に1,000カ所の専売ブースと1,400カ所の契約小売店を設け、牛乳・乳製品をはじめとする多種多様な食品を販売している同社は、インド大都市部において構築すべき安価かつ安定的な食料供給システムの国家的モデルと位置付けられている。こうしたモデルが普及すれば、インドの酪農・乳業が大きな変革を遂げる可能性があるだろう。
  • 梅田 克樹
    季刊地理学 = Quarterly journal of geography 2011年3月1日
  • 荒木 一視, 梅田 克樹, 大呂 興平, 古関 喜之, 辻村 英之, 王 岱
    日本地理学会発表要旨集 2011年 公益社団法人 日本地理学会
    フードレジーム論は近年注目されるいくつかの食料研究の新たな潮流の1つである。同論の特徴の第一は,食料の輸出国と輸入国という2国間の文脈で食料貿易を把握するのではなく,国際的な基本食料市場を中心とした多国間の枠組みで食料貿易体制を把握することである。また,これまでに食料貿易体制・フードレジームとして,戦前のイギリスを中心とする第1次レジーム(コロニアル・ディアスポリック・レジーム),戦後のアメリカを中心とする第2次レジーム(マーカンタイル・インダストリアル・レジーム),そして現在それへの移行期とされる第3次レジーム(コーポレイト・エンバイラメンタル・レジーム)が示されている。 &nbsp;しかしながら,同論は主として欧米を中心とした議論であり,アジア太平洋地域に対する言及は決して十分ではない。確かに,欧米を中心とした食料貿易圏が相当の規模を持ち,第1次レジーム期,第2次レジーム期を通じて世界の貿易体制を主導してきたことは事実である。しかし,突出した食料輸入大国である日本,巨大な人口を抱え,経済成長のもとで食料輸入を加速する中国,さらにはこれらアジア市場に向けて農産物食料輸出戦略を展開するオセアニア地域など,当該地域における相互依存関係は急速に深化・拡大しているといえる。こうした点から,当該地域の食料貿易の現状を把握し,レジーム論との適合を検討することは重要な意味を持つ。
  • 梅田 克樹
    経済地理学年報 2008年 経済地理学会
  • 梅田 克樹, 関 孝敏
    日本地理学会発表要旨集 = Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers 2004年9月10日 公益社団法人 日本地理学会
    1)はじめに 周辺型食糧生産基地・北海道の野菜産地は,生鮮農産物の輸入急増によって深刻な打撃を受けている.しかし,高付加価値化を追求する戦略を採用した一部の野菜産地は,こうした状況下においても高収益を維持することに成功してきた.地熱資源を活用したハウスによって,北海道第二の温室トマト産地に成長した渡島管内森町濁川地区は,その典型例の一つである.本報告の目的は,こうした地熱利用型ハウス園芸地域が濁川地区のみに形成された要因を解明することにある.さらに,その将来にわたる持続可能性を検討することによって,本事例の政策的応用への可能性を模索したい.2)北海道における地熱資源の開発と農業利用 北海道は,豊富な地熱資源に恵まれた地域である.その多様な用途の中でも,地熱エネルギー利用総量の48%を占める最大の用途になっているのが,農業利用(ハウス加温)である.そして,道内にある地熱利用ハウスの過半が,面積わずか6km2にすぎない森町濁川地区に集中している.3)地熱利用型ハウス園芸地域の発展プロセス濁川地区はもともと水田単作地帯だった.しかし,カルデラ底に位置する濁川地区には,自噴を含む多数の温泉源と,のちに地熱発電所が立地するほどの恵まれた熱水貯留層があった.そこで,稲作転換対策として特別転作奨励補助金制度が新設されたことを契機に,この豊富な地熱資源を活用したハウス園芸が本格的に始められた(1970年).特別転作(永年作物への集団転作)に対して転作補助金が上積みされたり(10aあたり5,000円),ハウス建設に対して70%もの高い補助率が適用されたりしたのである.そして,農家24戸が温泉水ハウス36棟を建てて,キュウリ・トマト・タイナを組み合わせた一年三作の土地集約型農業を開始した.1982年に北海道電力森地熱発電所が稼動を始めると,発電後の余剰熱水を活用した熱水ハウス団地が整備された.その後も地熱利用ハウスの普及は順調に進み,源泉数も約80ヵ所に増加した.現在では,熱水・温泉水あわせて3組合の51農家が,約600棟・16haの地熱利用ハウスを経営している.現在主流になっているのは,端境期出荷によって高収益が得られる一年二作のトマト専業経営である.のべ29haの地熱利用ハウスにおいて年間2,400tのトマトを生産しており,その販売高は約8億円に達している.4)地熱利用型ハウス園芸地域の形成要因交通が不便なうえ周辺に有名観光地もない濁川地区は,温泉地としての開発が遅れていた.1960年代には.豊富な地熱資源が未利用のまま残される一方で,危機的な過疎・出稼ぎ問題に直面していた.こうした切迫した状況の中で,村おこしの一手段として地熱利用ハウスが導入されたため,その普及を阻害しかねない温泉権利金(100_から_200万円が相場)の設定は見送られた.また,50_から_200mもボーリングすれば温泉が得られるため,農家による相互扶助のみで温泉掘削・維持を賄っている.暖房用の燃料費も不要である.イニシャルコスト・ランニングコストともに,飛び抜けて安いのである.販売面においては端境期出荷が重要である.特に冬季には,トマトの供給が不足する道内市場と関東2類市場を出荷先にすることで,高単価を維持している.また,通年栽培による年間労働力の平準化も,所得向上に貢献している.5)地熱利用型ハウス園芸地域の持続可能性 近年,地熱資源の枯渇が問題化している.温泉権利金が設定されておらず,一定の間隔さえ空ければ自由に温泉を掘ることができるため,汲み上げ過多による水位低下や湯温の不安定化が生じている.上流に農地防災ダムを建設したことも,地下水位の低下を招いているものと考えられる.第三者機関による地熱資源量の再評価に基づいた利用規制の導入をはじめ,地熱資源の涵養に資する施策の実現が望まれる.地熱資源の枯渇は,地熱利用ハウスによるトマト生産のさらなる拡大を困難にしている.また,収益性を追求して輪作体系を放棄したことが,連作障害による収量減を招いている.大市場において産地として認知されるロットを確保するには,地熱資源と化石燃料,トマトと他作目を上手に組み合わせた新たな経営モデルを開発する必要がある.その一方,一層の高付加価値化を実現するためには,環境にやさしい「温泉育ち」を強調したブランド化の推進や,契約栽培への積極的な取り組みが有効と思われる.これら二律背反する課題を解決するには,販売戦略の抜本的見直しが不可欠であろう.
  • 梅田 克樹
    経済地理学年報 2004年 経済地理学会
  • 梅田 克樹
    人文地理学会大会 研究発表要旨 2002年 人文地理学会
    1.問題の所在と研究の目的<BR> 世界の主要酪農国の多くは、取引価格の異なる複数の生乳市場を並立させる政策・制度を採用している。日本においても、1965年制定の「加工原料乳生産者補給金等暫定措置法(不足払い法)」を根拠として、飲用乳・加工原料乳などの用途別に異なる取引価格が形成されてきた。この制度を円滑に運用するために、都道府県ごとに指定生乳生産者団体(指定団体)が設立され、生乳共販体制の確立とプール精算方式の導入が進められた。さらに、この価格支持制度が招いた生乳生産過剰の慢性化に対処するために、1979年には生乳計画生産制度が導入された。<BR> これら一連の制度は、酪農経営と乳業会社のいずれもが再生産可能な乳価の形成と、生乳輸送の広域化に伴う激変緩和措置としての産地間競争の抑制を図ったものと捉えられる。しかし、飲用乳生産地域の酪農経営や多頭育化志向が強い酪農経営には、受け入れがたい制度だった。そこで、「生産者組織による自主的計画」という形式が採られ、酪農経営はその自発的意思に基づいて参加することと定められた。その結果、生乳生産量の約5%にすぎないアウトサイダーの動向が、飲用乳価の形成に無視できない影響を及ぼすことになった。<BR> アウトサイダーには、中小乳業会社と深い関係を有する小規模な酪農組合が多いほか、イン・アウトの出入りも珍しくない。半ば恒久的なアウトサイダーである大規模な酪農組合の代表例としては、サツラク農協(北海道)と日渓酪農協(滋賀県)が挙げられる。本発表では、主に札幌大都市圏向けの飲用乳を生産しているサツラク農協を取り上げ、その組合員における多頭育酪農の発展動向とその要因を明らかにすることによって、一連の制度が果たした役割を評価するための対照事例を示したい。<BR>2.サツラク農業協同組合の概要<BR> サツラク農業協同組合は、アウトサイダーとしては全国最大規模の酪農専門農協であり、年間生乳生産量は3万tを超えている。生乳出荷者(138名)は道央各地に広く散在するものの、その8割以上が石狩管内(特に札幌市・千歳市・江別市)に集中している。1戸あたり飼養頭数(80頭強)は道内平均値にほぼ相当する水準であるが、一部の大規模層における多頭育化志向は強く、なかには500頭を超える多頭育経営も存在する。その反面、全国平均を下回る小規模経営も約半数を占めており、1990年代後半以降、廃業者が続発している。<BR>3.サツラク農業協同組合のアウトサイダー化とその要因<BR> サツラク農協の前身である札幌酪農組合は、雪印乳業__(株)__の創業者たちの出身組合である。それゆえ、サツラク農協の生産乳のおよそ3分の2を雪印が全量飲用乳価にて買い入れるなど(1960年代まで)、サツラク農協は雪印と特別な関係を有していた。しかし、指定団体であるホクレンが、不足払い法に基づく生乳共販を全面的に導入すると、こうした特例的な措置は廃止された。また、北海道協同乳業__(株)__(ホクレン系)が札幌市乳市場に進出したため、サツラク農協の市乳化率が急落するおそれが強まった。そこで、サツラク農協は、高い市乳化率を維持するために、組合有の市乳工場を建設して、組合員の生産乳を自ら処理・販売する市乳事業を開始した(1970年)。そして、近郊酪農地域としての既得権益である高乳価を引き続き確保するために、完全アウトサイダーの道を選択して、全道プール乳価への組み入れを拒否した(1976年)。その高乳価に支えられて、多頭育化志向の実現も可能になったのである。<BR>4.競争原理の導入とサツラク農業協同組合<BR>現在のサツラク農協は、市乳事業における年間販売額が約70億円に達しており、札幌市乳市場において確固たる地位を築いている。ところが、その生乳出荷者数の減少には歯止めがかからず、他組合に集団移籍する事例すらみられる。その要因として、生乳輸送の広域化に伴って北海道全体の市乳化率が上昇し、ホクレンと比較した生産者乳価の有利性がほぼ消滅したことや、補給金単価の引き下げに伴って、飲用乳価と加工原料乳価の格差が縮小したことが挙げられる。すなわち、激変緩和措置の解除と競争原理の導入によって、アウトサイダーであることの有利性が低下したことを意味している。サツラク農協は、ビジネスモデルの転換を迫られている。

共同研究・競争的資金等の研究課題

 10